
訪問看護の魅力を伝えるとき多くは「ご利用者に心から感謝された」「笑顔が見られた」「最期までその人らしく過ごすお手伝いができた」といった美しく心温まるストーリーが語られます。
もちろん、それらは訪問看護という仕事が持つ素晴らしい側面であり日々の大きなやりがいです。
しかし、あみ訪問看護ステーションで多くの看護師の歩みや変化を見守ってきた私たちが確信を持って言えることがひとつあります。
それは「看護師が本当に脱皮し一歩深く成長する瞬間は、うまくいかなかった時」だということです。
完璧にケアをこなせた時でも予定通りスムーズに訪問が終わった時でもありません。
病院の病棟勤務では決められた手順書やマニュアル、医学的な指示に沿って正確にケアを進めることが正解とされがちです。
しかし、ご利用者のご自宅という「個人の生活の場」に入り込む訪問看護では私たちが良かれと思って持ち込んだ知識や正論がまったく通用しない場面にたびたび遭遇します。
「ご利用者の健康と安全を心から思って提案したケアを、頑なに拒否された」
「教科書通りに丁寧に接したつもりが、なぜかご家族との間に壁ができてしまった」
「主治医への電話報告で、自分の観察不足や見通しの甘さを厳しく指摘されてしまった」
このような、うまくいかなかった体験に直面したとき看護師は初めて足を止め、自分の看護を深く振り返ることになります。
「なぜ、私の言葉はあの人に届かなかったのだろう?」
「ご利用者が本当に望んでいたのは、医療者側の正解やルールではなかったのではないか?」
「自分が正しい」「こうあるべきだ」という無意識の思い込みを砕かれた瞬間こそが医療者主体の指示目線からご利用者の人生や生活に寄り添う目線へと視野がガラリと広がる、最初のきっかけなのです。
一度でも悔しい思いや冷や汗をかくような緊張感を現場で体験すると、次回からの現場を見る目は劇的に変わります。
例えば、主治医への報告で不十分さを痛感し悔しい思いをした看護師は、次から「どうすれば医師が即座に判断できるデータ(具体的なバイタル数値や症状の経過時間など)を論理的に整理して提示できるか」を必死に考えるようになります。
また、ご利用者やご家族とのコミュニケーションですれ違いを経験した看護師は単に会話をするだけでなく部屋の雰囲気、ご家族の表情の陰り、介護疲れのSOSサインなどを敏感に察知しようと試行錯誤し始めます。
▶ 手順通りにチェック項目をこなしていく「点(作業)の観察」
▶ 背景にある生活習慣や感情のゆらぎ、主治医の意図まで汲み取る「面(物語)の観察」
失敗の悔しさを噛み締めた経験があるからこそ、日々の看護記録の質が飛躍的に上がり医師やケアマネジャーといった多職種からも「〇〇さんの報告はいつも的確で信頼できる」と一目置かれる「本物の観察力」が身についていくのです。
失敗が成長につながるとは言っても、たった一人でその痛みや罪悪感を抱え続けるのは、精神的にも非常に苦しいものです。
下手をすれば「自分は訪問看護に向いていないのではないか」と自信を失ってしまう原因にもなりかねません。
だからこそ、あみ訪問看護ステーションが一番大切にしているのは「うまくいかなかった事例を個人を責める材料にせず、チーム全体の学び(宝物)に変えること」です。
ステーションに戻ってきたスタッフが「今日、〇〇さんにうまく思いが伝わりませんでした…」「先生にうまく報告できず落ち込んでいます」と凹んでいるとき、あみの仲間は誰もそれを責めたり鼻で笑ったりはしません。
「何が原因だったのかな?」
「その時、ご利用者はどんな気持ちだったんだろうね」
「次はこういう言葉がけやアプローチにしてみようか」
そうやってカンファレンスや日常のコミュニケーションでオープンに話し合い、チーム全員で次の工夫を考えます。
ご利用者やご家族が心を開き、本当に深い信頼を寄せるのは何でも器用に完璧にこなす機械のような看護師ではありません。
自分の思い通りにいかない葛藤を知り、失敗から学び、悩みながらも泥臭く自分に寄り添おうとしてくれる「人の痛みがわかる看護師」です。
「今日もうまくいかなかったな…」と訪問帰りの車の中でため息をついたその瞬間、あなたは確実に昨日までの自分を超え、一人の人間として、そして看護師として素晴らしい深みを増しています。
あみ訪問看護ステーションは完璧な人ばかりが集まる場所ではありません。
失敗を恐れず、悩みながらも仲間と共に一歩ずつ前へ進みたいあなたを全力で受け止め支えます。
うまくいかない経験すらも自分の糧に変えて、私たちと一緒に味わい深い看護を届けてみませんか?